なんやかんやで東京に来て11年目に突入。
大阪にいる頃、今の自分は全く想像出来なかったなぁ〜

初めて東京に移り住んだ場所は渋谷
どうせ、住むなら如何にも東京でしかない場所にしようと思った。

渋谷のスクランブル交差点から歩いて僅か15分程のマンション。
ベランダから何時まで経っても明るい渋谷の街を眺め随分と焦った。

(みんな寝てへんのかな〜〜〜??)
(何時になったらあのビルの窓明かり消えんねやろ〜??)
(夜寝てんの俺だけとちゃうやろか??)


そんな24時間AMPM関係無しで稼働している街は、
30半ば過ぎてちょっと落ち着きかけてた自分にも十分刺激的だった。
お陰で気持ちが随分若返って再度色々頑張った!!

あれから10年。
もう渋谷のスクランブル交差点で目が回る事も無い。
そして、手元に多くの万年筆とインクが!!笑

昨日、深夜にヤンキーロックバンド「氣志團」の綾小路翔が地元千葉を中心に
ミュージシャンとして成功するまでを紹介するTV番組を観た。
ShowAyanocozey
あ〜〜〜素晴らしいリーゼントである!!美しい!!笑
どうもヤンキーについつい反応してしまう!!

しかし、自分はこの一つ前のツッパリ全盛期時代の一人。
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なので、こっちの方がリアル。

中学生の頃、学友??にはパンチリーゼントメッシュ金髪も山盛り。
ボンタンと呼ばれる太いパンツに、学ランと呼ばれる長い丈の詰襟。
学ランの裏には般若の刺繍が配された玉虫の美しい生地製。
カバンはペタンコで、靴は脱ぎ履きに便利なスリッパと化していた。

学校創立以来最狂最悪の学年と呼ばれ、
当時のび太似の自分の毎日のテーマは・・・
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サ・バ・イ・バ・ル

そんなこんなで地元に対して自分は特別な思いが、
あるか〜〜〜!!笑
しかし、この歳になって最近やたらと昔の事を思い出す機会が増えた。

昨日の今日で、ふと思い出した歌があった。
ある意味ツッパリもヤンキーも敵う事はないのではないかと!!
小学生低学年当時大流行していた。

北も南も転々として、
園田→塚本
十三服部下新庄淡路桜川四ツ橋松屋町
あのまま大阪にいれば・・・今頃、河内方面にいてもおかしくなかったかも!!


「ワレ、ええペンもっとるやんけぇ!!」
標準語に直すと「あなた、とても良いペンをお持ちですね!!」笑

大阪は強力である!!離れてみるとホントよくわかる!!
(しかし、そんな強力な何かが自分にも入っているのは間違いなさそうだ・・・笑)

あ〜やっぱり人生はロマンだ〜 !!