あれだけ咲誇った桜も早くも葉桜に。
どんどん時間が過ぎて行きます。
なんだかんだと忙しくじっくり万年筆に向き合う時間が取れません。笑

まぁ、それでも日々使っているのですがね。
昨日Blogに書いた友人の弟君に紙に名前と電話番号を書いてもらうのにキャップレスを渡しましたが、彼はそれが万年筆だとは全く気付かずとても書きにくそうにしていました。多分、万年筆を使った事は無いと思われます。(まぁ、仮に多少あったとしてもキャップレスが万年筆だとは気付きにくいかもです。)

昨今は以前と比べると随分万年筆が売れているのは確かな様です。
ただ、実用の割合がどれ位なのか?日々の実用になっているか?は知る由もありません。

今の所自分の所に来られるお客様の中で万年筆を実用されている方は僅か2〜3人。それ以外の方はボールペンが圧倒的。最近ではそのボールペンですら持たれていない方も多く、住所や名前を記入して頂くと、さすがに名前は大丈夫ですが住所に書かれている町の名前等の漢字が間違えていたりします。また、普段文字を書く事が減って来ているせいか、字が真っすぐに書けない方も数多く見られます。

まぁ、昨今の世の中で「書く」事の重要性は随分と減って来ているのも間違いなく、最近はもはやクレジットカードのサイン迄無くなる状況で名前さえ書く事が必要なくなって来ているのです。

この先圧倒的に「書く」事は減って行く中で、「書く」という行為はもしかしたら趣味的なものになる可能性が物凄く高まって来ている気がします。(先日もTVで見ましたが最新の学校にはもはや黒板も無く、ノートも無く全ては電子黒板なる大きなiPadと生徒の持つiPadで全ての授業が進むと言った感じ。)

まさに、昔漫画で見た未来の姿に急速に近寄りつつあります。

よく万年筆の書き心地の良さが「とろける様な」とか「ヌラヌラとした」とか「紙に吸い付く様な」の感覚的な表現をしますが、いずれモニターの中の仮想万年筆を操作しながらこの感覚のみを脳に直接与えて楽しむ様になったり、そのモニターの中でその仮想万年筆コレクションを楽しむ為にデーターの売買が行なわれる!(もちろん、サインレス!笑)的な恐ろしい事が普通になるのもそう遠い事でなくなりそうな気がします。ヒィ〜〜〜!!

凄いですね〜そんな事絶対にならないと言えない世の中になってきているのです。

先日、アメリカで空飛ぶ自動車が発売される事になったそうです。もう、自動車なのか飛行機なのかどうでも良い感じです。

もう、何も止まらなくなって来ています。マニア(マニア候補も含めて)の生きる場所はどんどんアンダーグラウンド化されていく。世の中のベンチマーク(基準)がドンドン変わる。

現在40代のオイラが20代の時にはネットはおろか、ようやく重たい携帯電話が普及したぐらい。(まだまだ必須だった家の電話番号の権利が6万円位だった記憶が。)Amazonも楽天もヤフーもebayも何も無かった。筆記具は鉛筆、シャーペン、ボールペン、万年筆、各種マーカーが主です。

今やフリクションが当たり前になり、古典インクが絶滅寸前になり、筆記する機会が減少し、車が空を飛び、携帯電話がパソコンになり、何もかもがカードや端末で買える様になり、普通電球や蛍光灯がなくなりLEDに変わり、切符を買って電車に乗る事もほとんど無くなりました。

僅か20〜30年の事です。
自分が60〜70代になる頃には上記に掲げた事はもはやどれもビンテージ扱いです。笑
(既に80年代のファミコンカセットはビンテージ扱いで高額流通しているし、キン消しや、ラジカセなんかも今やビンテージ!)

どんどん物がなくなります。どんどんデーター化されます。
形ある人間の存在の意味がどこまであるのか・・・

面倒で、くだらなく、儚いかも知れないが人の手の温もりが詰まった物が大好きな自分にとって、この先の未来予測はあまりにロマンに欠ける。





当時の2015年予測は・・・こんな感じだったのか〜遠からずだな〜 

で、そんな想いをこうやってデジタルデーター化している自分は・・・
ロマンは書き綴ろう!笑