今日は朝から来客。

まだ、生まれて1歳に満たないお子様連れでの来店。
聞く所によると、最近の赤ちゃんは成長が早いらしい!

ご多分に漏れず、今日の赤ちゃんもつかまり立ちをする直前で歯も生えていて、しきりに喋ろうとしている!(自分の子供の頃の写真を見ても到底その頃そんな感じでは無い様な気がする。笑)

小さい頃から保育所に預けられたりすると、他人とのコミュニュケーションが早くから始まり、お母さん曰くもう既に友達がいるとの事!スゲ〜〜〜!まだ1歳になってないのに!!

この子達が成人する頃には世の中随分変わっているだろう! 

次の東京オリンピックが昔話になっていて、周囲はヤンジーだらけ!
渋谷も六本木も青山も原宿もジジババだらけになっている!
SMAPが60代、EXILEが50代、AKBやモモクロ、きゃりーぱみゅぱみゅが40前後!
もう、想像するのも恐ろしい!!笑

そんな、時代に万年筆を使う若者がいるのだろうか??
果たして、書く事は存続しているのだろうか??

今以上に「筆記」する事は少なくなっているのは間違いないだろう!

更なる合理化と利便性が進む事で、互いに思っている事を記録するのにキーボード等の打ち込みさえも要らなくなり、頭に思い浮かべるだけでモニターらしき物に表す事が出来、修正も訂正もコピーペースト、そして転送も自由自在に!外出時の荷物はますます少なくなり、筆記具を持ち歩く事は今以上に希有な事になりそうな気がする。

そんな中で、万年筆は完全に趣味の物となり実用の世界とは切り離される。
いわゆる懐古主義的な物となり、愛好者含めの使用絶対数は今以上に減る可能性が高い。

自分もこうやってネットの世界を活用しながらの2本立てで万年筆の世界を楽しんでいるが、手帳やノート等の紙物記録媒体の使用が減れば、確実に筆記具自体の使用数、販売数も減る。となると、万年筆は「筆記」という行為から離れ完全に「物=オブジェ」化する。

昔のキセルやパイプのコレクションやナイフやライター等のコレクションと同じになる。
そう思うと本来の機能を使う事が無くなるのは何とも寂しい。

改め、筆記する事の大事さを伝えたい。

今でも自分は仕事に使う筆記具が多数要る。
鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、万年筆、マーカー等の画材。

最近は打ち合わせや会議にもiPad等で打ち合わせする事でペーパーレス化が進んでるらしい!
実際、自分と同じ仕事でもiPadで打ち合わせ&情報管理が多くなって来ているらしく、時折IT関連のお客様からは「顧客の情報管理含めシステムソリューションが必要でしたらいつでも言って下さいね!」と言われたりもする。

しかし、今時のデジタル管理に比べると正確無比ではないかも知れない、利便性も悪いかも知れない、時間も掛かるかも知れない。それでもデジタル化しないのには、それ以上に良い事もあるからだ!!

一人一人のお客様と向き合って仕事をするのに合理性や利便性だけでは解決出来ない事がある。それは洋服の注文だからとか言う事ではなく、人と仕事をするのに無くしてはいけない感覚が必要だからだ!その一つは「思いやり」だと思っている。

ヘタクソでも、時間が掛かっても、自分の手で文字を「筆記」する事はその行為を通じて脳に刺激が伝わる。それは同時に「筆記」しながら色々「思う」ことにも繋がる。

機械では記録として残るだけでその状況、思いは感覚としては残りにくい。どんな言葉をキーボードで打ち込んでも感覚は同じだからだ。しかし、「筆記」はその時の状況、思いで表現される文字が変化し、その時その時の感覚がペン先から指先を通して心と頭に強く刻み込まれる。

紙面と心と頭に!そう、それは言うならば生(なま)の感覚だ!
人間は生き物だ!生きている!それは生(なま)なのだ!

このブログでは何度か同じ様な事を記しているが、「筆記」と言う行為は生の感覚で、人間のみに与えられた素晴らしき行為である。生きている相手を思いそして「筆記」する。いつまでも無くなってはいけない気がする!

万年筆は人間の生み出した筆記具でもっとも親しまれ、そして進化を遂げたと思っている。
その進化は書きやすさだけでなく、生の感覚を「筆記」する道具として進化したのだ!

それだけ人間にとって「筆記」と言う行為は重要で必要だったから!!

今日のカワイイ赤ちゃんが大人になっても「筆記」する事の大事さを少しでも伝えて行く為に、偉大なる万年筆の素晴らしさを伝えていかなければと改め強く思った!

ロマンは永遠に!!笑
万年筆は万年に!!笑