先日友人と2泊3日の旅に出掛けた。
行き先はとてもよく知る土地だが、共に行く人が変わればこうも違うか!?って感じで、とても新鮮で楽しい旅となり、良い思い出となった。

何をするにも、何処に行くにも、変に思考がガチガチに固まってなければ、ありふれた事やありきたりの事でも新鮮に感じる事が出来る。

万年筆を楽しむようになってからますます固定観念を持たなくなった気がする。

元々「何でもやってみないと本当の事は分からない!」って性格なので、今まで様々なリスクがあろうとも果敢に挑んできた方である。しかし、人間の持つ感覚が良い言い方で云うと柔軟で、悪い言い方するとあやふやであるかを改めて気づかせてくれたのはやはり万年筆であった気がする。

とても気に入った書き味の万年筆もあらゆる条件によってその評価は一定ではない。紙、インク、温度、湿度、気圧、デスクや椅子の高さ、BGM有無、周囲に人がいるいない、リラックスしてるか否か、etc.

それは何も万年筆に限った事でない。
いつも食べる食事や、飲み物、いつも行く場所、いつも聞く音、いつもの香り、それらもその時々の状況で感じ方が大きく変わる。

何もかもがある一定基準で決まっていると安心感を覚えるのは確かである。
しかし、実のところは何も決まっていないし、決められるもんでもない。
なにせ、それらを感じる人間の感覚が生きてる限り不安定だから当たり前だと言えば当たり前なのだ!

この書き味が1番!
これが1番うまい!
これが1番キレイ!
これが1番かっこいい!

それとは逆に、

この書き味は最悪だ!
これは最高にまずい!
これは1番良くない!
これは究極にダサい!

と言った否定的な言葉も含め、TVやネット、街中にこれらの言葉が溢れかえっている。
そう、1番とか究極という存在や概念がある事で自分の位置状態(順位)が朧げに確立され、安心感が得られるからだ。

でも、本当はどうなのか?

例えば、スポーツの勝ち負けにしてもタイムや点の競い合い、その結果を見て評価をするが、早い方が良いとか、点が多い方が良いとかの概念は多くの人に分かり易く基準を伝えるのに便利なだけで、本当にその事が1番と言えるのだろうか!?

最も遅い方が勝ちとか、最も点の少ない方が勝ちとかにしたらどうなるののだろうか!?
案外、良かったりするかも!!笑

多くの人がいて、多くの考え方がある。
実は誰もがある意味1番(唯一無二)であるので、本来競う意味がない。比べる意味がない。しかし、不安定は不安なんだなぁ〜〜〜群れるが勝ち!?笑

鉄ペンより、金ペン!?
ブレンデッドより、シングルモルト!?
星1つより、星3つ!?

あぁ〜〜〜ロマンだ!!笑
ホーガン
0番でいいじゃん!ダメ!?比べたい??アハ